一般県道都志見千代田線・豊平〜千代田



 県道烏帽子中原線から県道都志見千代田線が千代田方面へと分岐する交差点には、左折方向が県道であることを示す交差道路標識が建っており、山のほうへ上がる一車線幅の道が県道都志見千代田線である。交差点の脇には「この先300m通行不能」の予告標識が建っている。



 右手の谷にある水田を見ながら、緩やかな坂道を登っていく。道路と反対側の山が次第に迫ってきたところで、雑木林の中へと入っていく。



 ため池の横を通り、左手の山の立ち木を切り出した斜面の下を通り過ぎると、その先はいよいよ人が入った形跡が感じられなくなる。道の両側に生えている熊笹が路面のほうにもせり出してきて、1車線の道幅がさらに狭く感じられる。



 道の両側から繁茂している雑木・雑草がせり出してきて、路面を覆いつくしていき、とうとう前方は緑で覆いつくされてしまい、どこまで舗装があったのかもよく分からない状態になっている。



 熊笹や雑木が生い茂って早くも道なき道の状態となっており、雑木の枝をかき分けながら進んでいく。山からの湧き水が低いところに集まるためか、ぬかるんだ湿地のようなところもあり、非常に足元が悪い。



 左側の山の法下がいくらか雑木・雑草の茂り具合が比較的少なく、道のように思われるので、そこをたどるように歩いていく。峠の頂上付近はなだらかであるが、どちらを見ても雑木林しか見えずまったく眺望はない。峠を挟んで西側は旧豊平町、東側は旧千代田町となっており、千代田へと向けて下っていくが、左側の山の斜面から出てくる小さな沢があちこちにあり、その沢を流れた水に削られて足元は凸凹だらけの状態。




 ヤブをかき分けながら進んでいくと、山の斜面の中ほどに幅2m足らずの小段が残っており、沢の左岸側を西へと続いている。何とか県道をたどれているようだ。道路端には、昔ここで山仕事か何かをしていた人が残していったものか、茶碗と湯飲みが半分土に埋もれた状態で転がっていた。



 熊笹や雑木だけならかき分けながらでも何とか進めたのだが、行く手のいたるところに倒木が見られるようになり、倒木を乗り越えながら進んでいく。



 大きな倒木と山の斜面が前方をさえぎり、この先の道がなくなっているかと思ったら、進行方向を変えてターンするように下りの道がつけられており、そこを歩いていく。こうした道のつけ方は、とにかく最短の距離を通ろうとする人が歩くだけの道ではあまりないので、以前はこの道を荷車なども通っていたということだろうか。



 雑木の枝葉が茂り、おまけにこの倒木が多い状態では、ここを通っている人など、現在では全くいないものと思われる。



 前方が完全にヤブと化してしまっており、このまま進めそうにないため、沢側に目をやったところ、何とか対岸へ移れそうなので、対岸へと渡ってみる。



 少し歩いて下りていくと、木の枝に山道であることを示す赤いテープがくくりつけられており、どうやらこのまま進んでも大丈夫そうなので、胸をなでおろす。



 橋が架かっていないが、山道が対岸へ渡っているので、沢に転がる石をつたって対岸へと渡る。そして、左岸側を数分歩いて下ったところで、再び沢の右岸側へと渡る。



 大雨のときには道の部分にも沢の水が流れるのであろう、枯れ川のような状態となったところもあり、転石につまづかないように歩いていく。うっすらと路面にわだちの跡が見えるようになり、人里が近づいてきたことを感じる。




 ついに、草生した山道から、よく踏み固められた路面で車も通っていると思われる林道との合流点へと出る。対岸の林の中には、作業小屋が建っているのも見える。道路端の法面には、西平という字名を記した看板が建てられている。その先、コンクリート製の橋が架かっており、橋を渡ったから先はアスファルトで舗装された道となる。




 途中、部分的に拡幅されて2車線の道幅となっている箇所があるが、ほとんどはあまり人の気配が感じられない林の中に1車線の道である。魚を養殖しているとの看板が建っている池の横を通り、その先の大きなカーブを過ぎた先に水田と民家が見えてくる。
 県道沿いで千代田側最初の家の庭先にいたおばさんが、「この山道を歩かれたんですか。奥はもう、橋が落ちてなくなっとったじゃろ。」と声をかけてきた。おばさんは、「私らも昔は千町原のほうへ歩いて行きよったんじゃが、当分行ってないねえ。途中、きれいなユリが咲くところがあったんじゃが、もういっぺん行ってみたいねぇ…。」と昔を懐かしむように話しをされていたのが印象的だった。


 千代田側は国道261号線との交差点まで、大部分が改良済みの道路が続いており、つい先ほどまでとてもこの路線に車両通行不能区間があったとは思えないような変わりようである。


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