一般県道虫道廿日市線・泉水峠




 県道虫道廿日市線が県道川角佐伯線から分岐する、廿日市市玖島の交差点には、交差点である旨の案内標識は建っていない。しかし、交差点の角には玖島郵便局が建っているので、郵便局の建物が県道の交差点の目印となる。
 改良されているのは交差点部分のみで、右折するとすぐに道幅が狭くなる。その先の川に架かる御幸橋という橋のたもとに、この先が車両通行不能であることを記した古びた予告標識がある。



 御幸橋を渡ると、平屋建ての集会所がある。そのまま進んでいくと、左手にある団地へと分かれる市道との交差点がある。距離的には、ここが先ほどの予告標識の「この先500m」の地点のように思われる。交差点から先は、1.5車線ほどの道幅から1車線の幅になるものの、まっすぐと泉水峠へと道が続いている。


 この交差点の右手には、勁操園(けいそうえん)という名前の、旧玖島村の豪農・八田新七(1813〜1889)の功績を後世に伝えるために造られた庭園があり、高さ3mほどの大きな石碑が建てられている。
 八田新七は、現在の国道2号線に当たる、井口から古江、および廿日市から玖波にかけての道路や、七曲峠、白砂〜川角の櫟峠の工事を自らも費用を出して行ったほか、嘉永3(1850)年、この泉水峠への道路を延長960間(約1,740m)にわたり改修し、その工事費用の出したとの記録が残っている。また、石灰の製造所の開設や植林・造林の実施、灌漑水路の開削、ニンジンの栽培の指導など、幅広くこの地域の発展に尽くした人物である。



 勁操園の前を通り過ぎると、泉水橋という昭和40年に架けられた短い橋があり、この橋で泉水川の右岸へと移る。そして、人の気配があまり感じられない寂しい山の中へと入っていく。



 坂道を上っていくにつれて、路面が傷んだ箇所が目につくようになる。コンクリートを流し込んだだけの継ぎはぎだらけの補修が施されており、路面は凸凹である。


 途中、道路の右側に素掘りの溝があり、勢いよく流れている。道路の路面排水のための側溝であればこんなに水が流れるわけがなく、一見したところ農業用の用水路のように見えるが、昔はこの山の中で、農業を営んでいた人がいたのかどうか・・・。


 坂道を登っていくと、植林されたものと思われる杉林が道路沿いに見られるようになる。泉水川の支流を渡る箇所は、上り続きだった道が、一旦川のそばへと下りて、支流の水が流れるヒューム管の上を通る。



 支流を渡った先は下りの分を取り戻すかのごとく、一転して急な上り勾配の道となっているが、右へと林道が分かれた先で、緩い上り勾配へと戻る。



 泉水川の作った谷は奥が深く、勾配が緩やかなため、峠へ続く道は道幅は狭いもののカーブが少なく、見通しはよい。



 1車線幅の道を登り続けていくと、カート場の看板があり、その先左手にナンバープレートの外された車が置かれている空き地がある。カート場はここから200mほど先にあり、場内をカートが走っているときには、山の中にエンジン音がこだましている。




 空き地の奥の木々の間に人が入れる幅の小道がつけられており、そこへ入っていった先には、泉水峠の頂上であることを示す、峠の名前を記した手書きの標柱が建っている。
 なお、空き地から峠の頂上に至る小道は元々からあったものではなく、その昔は標柱の先にまっすぐと道が続いていたそうであるが、今はすっかりヤブとなり、自然に帰りつつある。



 泉水峠からの下り、廿日市市川末へ向けては、人が歩けるだけの山道しかない。この道は山歩きの人がよく利用するようで、しっかりとした踏み跡がついているので、道に迷うようなことはない。


 山道を泉水峠の頂上からおよそ100mほど下ったところで、進行方向の右手下に苔生した古い石積みが藪の間から垣間見える。



 これは明治末期から大正時代にかけて泉水峠にトンネルを掘ろうとした工事の跡で、幅4m、高さ1〜4m、奥行10m足らずの、奥がやや狭くなった石積みの掘割が残っている。 ここまで来る道も十分でなく、また今のように重機もなかった時代に工事を行いながらも、その志半ばで断念せざるを得なかった昔の人々の苦労が偲ばれる。
 なお、大正3年に泉水峠の道路改修を行うとの佐伯郡原村(現廿日市市原)の議案が残されているが、この議案とトンネル工事が関係あるものかどうかはよく分からない。このほか、昭和7年に昭和3年の豪雨で被災した道路の改修陳情書、昭和25年にも道路改修の陳情書が出ているが、この区間については改修が実現することなく現在に至ったようである。


 急な下り勾配の道のところどころには、大雨により流されてきたと思われる石がゴロゴロと転がっており、足をとられそうになる。今は荒れるに任せているような状態であるが、かつて人々が往来していた頃も、集落から奥に入ったこの山道の補修は結構大変だったと思われる。



 谷に沿ってほぼまっすぐと下ってきた山道が、途中で等高線に沿うような形で、いったん左へと大きく回りこんで下っていく。


 左側の路肩に沿って、直線状に並べて埋まった石が頭を見せている。偶然並んだにしては出来過ぎで、かつての道路の遺構ではなかろうか。



 植林された杉林の中に、タケノコを取る人もいないためか竹が侵出してきつつある。このような山道に、グレーチングの蓋を掛けたコンクリートの横断側溝が埋もれている。



 道沿いにチョロチョロと水の流れる素掘りの水路が現れ、こぶし大の転石を踏みしめながら歩いていくと、またグレーチングの蓋を掛けたコンクリートの横断側溝がある。




 その先、割れた瓦の転がる路面に、古びたアスファルトが一部残っており、昔はここまで舗装されていたことが分かる。廃屋の横を通り過ぎると、前方が明るく開けてきて、ほどなく自動車も通行可能な道路に姿を変え、廿日市市川末の集落へと入る。


 これから県道虫道廿日市線は、前方に瀬戸内海の島影を見ながら、川末川の谷筋を廿日市市街へと向けて下りていく。


 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  佐伯町誌 佐伯町
  廿日市町史 廿日市町

 


戻る