国道185号線・槌峠



 <現在の道>
 呉市仁方町から川尻町へは、JR呉線と並行する形で、川尻町小仁方・川尻隧道を経て、川尻町の市街地へと入るルートが、国道185号線となっている。この道は、戦後工事が進められた結果、昭和34年 6月に開通しており、さらに平成12年 1月にはこの道から分岐して、下蒲刈島へと渡る安芸灘大橋が、完成している。


 仁方側の国道185号線から旧道への入り口。広島では有名な味噌メーカーの看板の先で、左へと分かれる道が旧道である。
 ここから進行方向左手の谷を通り、槌峠(つちたお)を越えて、川尻へと続く旧道は、明治38年に建設されたもの。それまでこの峠には追い剥ぎが出たとの噂もたつ淋しい道しかなく、陸路の流通はほとんどなく、海運でも遠浅の海で直接船が入れる港がなかったため、川尻は陸の孤島のような状態であったそうだ。




 槌峠の頂上から西側の旧道は、昭和50年代後半に改良されており、普通車同士であれば十分離合できる幅に広げられている。改良された道の左右ところどころに一車線幅のもとの道が残っている。



 仁方側の道のほとりには、お地蔵さんが祭られている。川尻側に入ると、才野谷という地名で、村境に疫病や悪霊が入ってくるのを防ぐ、塞の神との関連した地名だろうと思われる。

 仁方町と川尻町の境は、川尻越と呼ばれており、昭和34年の呉市営バスの路線図を見ると、川尻越という名前のバス停が記されているので、この辺りにバス停があったのだろう。昔、仁方村と川尻村の境を決めるため、それぞれの村から庄屋が同時刻に出て、会ったところを村境とすることにした際、足の悪い川尻村の庄屋は少々早めに出発し、仁方村の庄屋は向こうは足が悪いので大丈夫だろうと少々遅く出発したため、二人が出会ったのは峠から西側へと下りたところとなり、ここが村境と決まったそうだ。




 何のこともない坂道が続いているように見えるが、まっすぐと続く道は改良後の道で、上水道の才野谷受水場の先の資材置き場の脇を左へと分かれていく道が旧道。左手の山すそをカーブを切りながら登っていき、戸浜川という砂防河川を渡った先で再び改良後の道と合流する。



 その先、廃車となった車置き場のところを右へと分かれている改良前の旧道である。



 さらにその先もう一箇所、産業廃棄物の処理場のところを右手へと回り込むような形で改良前の旧道が残っている。



 処理場の横を過ぎると、ほどなく切り通しとなった槌峠の頂上へ到着する。峠の頂上から川尻側へ少し下ったところにある電柱の横、モルタル吹付をされた切り通しの法面に、小さな石造りのほこら(?)と腰掛けがある。
 ほこらの中には何もなく、昔はお地蔵さんでも置かれていたのかと思ったが、中の窪みに水が溜まり、そこから溢れた水を下の小さな手洗い鉢で受ける造りになっているので、水飲み場と腰掛けではないかと思われる。それぞれ大正八年・大正十三年と刻まれており、昔は槌峠を歩いて越える人々がここで一休みしていたのだろう。




 峠の東側、川尻の市街地へと向けて下り始めると、上水道の施設がある。道路の左手にある工場の裏側を回るような形で、一箇所、改良前の旧道が残っている。



 上水道の配水タンクがあり、その先には谷を堰き止めて作った小さなダムがあり、その横を通り過ぎる。




 アルファベットのSを逆にしたような形の2つの大きなカーブを過ぎて、水路のように幅の狭い川の反対側へと渡る。野呂山の麓に広がる川尻の家並みを正面に見ながら、進んでいく。


 野呂山への登山道路となっている 県道野呂山公園線と交差するが、その先にさらに直線状に道は続いている。交差点脇の植え込みの中には、一畑御燈明と刻まれた石灯篭が建っている。




 道の両側に続く家並みの中を抜けて、再び県道野呂山公園線と合流する。呉線の跨線橋を渡った先のカーブの途中で、左へ分かれる狭い道があり、道路の通り具合から見て、この道が旧道の続きのようである。




 呉線安芸川尻駅から来た道が右手から鋭角に交差する交差点は五差路となっている。上段右の写真はその交差点を反対から見たもので、タバコ屋のある角の左奥からの道が安芸川尻駅への道、右斜めからの道が旧道。ここから先の道は、川尻の商店街となっており、昔は賑わいを見せていたのであろうが、今はひっそりと静まり返っている。


 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  呉市交通局60年史 呉市
  郷土資料かわじり 川尻郷土資料保存会


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