旧津和野街道・廿日市市栗栖〜中道



 <現在の道>
 廿日市市栗栖から小瀬川の造った羅漢渓谷沿いを通る現在の国道186号線は、明治時代に開設されたもの。それ以前は、栗栖から悪谷を通り、中道へと出る山越えのルートで、江戸時代には廿日市と津和野を結ぶ津和野街道であった。


 国道186号線と県道廿日市佐伯線の交差点のすぐ南側、道路標識の横に、「中国自然歩道 旧津和野街道」という案内板が建っており、西側の山へと続く小道がある。ここから、旧津和野街道は西へと続いている。



 木工所の横を通り抜けると、その先の道は落ち葉が降り積もっており、あまり人も入っていない様子。そこへ入っていくと、中に大きな石の鎮座するお堂があり、そこまでは何とか車も入れそうだが、その先は人が歩けるだけの道となっている。




 奥へと足を踏み入れると、江戸時代に雨で道が痛むのを防ぐために敷かれたという石畳があちこちに残っている。なお、この石畳は、廿日市市の史跡に指定されている。

 



 小瀬川の支流となっている渓流に沿って、道は続いている。渓流の護岸として積まれた古い苔生した石積みが、歴史を感じさせる。



 渓流沿いに続いてきた道が、いよいよ松ヶ峠への本格的な登りへと差しかかるところに、距離を記した案内板が建っている。


 ところどころに露出した岩も見られる急な坂道を登っていく。人里から離れたこのような山の中にも、石畳は残っている。



 松ヶ峠へと続く道沿いは、植林された林の中を通っており、明治40年に模範林となった広島県県営林であるとの看板があるが、現在は荒れるがままの状態となってしまっている。




 やがて登りの坂道は山の北側斜面の中腹辺りへと出てなだらかな道となる。そのなだらかな道を歩いていくと、津和野藩の参勤交代の一行が藩主の乗った駕籠を下ろして休んだという、「かご立岩」という名前の大きな岩が道の真ん中に鎮座している。杉林の間からは、北側に広がる中国山地の山々が見える。安芸・周防・石見の三国の山が見えることから、この辺りには「三国横え」という名前がついている。
 松が峠の案内看板には、佐伯郡廿ヶ村郷邑記の一節が引用されている。「悪谷津和野往還名の如く難所なり、夏分蜂多し。松が峠、栗栖、中道の境なり、夏は熊が出て涼み居る。人に驚くときは災いをなす。依って山中を一人で行くには歌を歌うべし。人声を聞くときは、熊、狐、狸も速に去るなり。」



 なだらかな道が続いて頂上前後はあまり峠らしくない松ヶ峠だが、三国横えの案内看板を過ぎると、小瀬川の支流の一つ・悪谷川の谷へと向けて一気に下っていく。


 林の中に小さなせせらぎのような川が現れると、ほどなく悪谷川へと出て、悪谷川に架けられた木橋を渡る。


 橋を渡った対岸に続く道は、国道186号線の悪谷バス停から悪谷川沿いに続く、悪谷林道である。林道をバス停方面へと少し下ると、小さな滝が続けてあり、国土地理院の地形図には比丘尼ヶ渕(びくにがふち)と記されている。ちなみに比丘尼というのは、辞書によると、尼僧や、尼の格好をした江戸時代の遊女のこと。

 



 悪谷川の上流の方向へと、悪谷林道の一部となっている区間を進んでいく。数百mほどすると、林道は左手へと別れていき、旧津和野街道は両手に熊笹の生い茂った、なだらかに続く坂道を登っていく。



 杉林と雑木林の中の坂道を登りきると、前方が明るく開け、ススキなどに覆われた荒れ野へと出る。ここは、越ヶ原というところで、国土地理院の地形図には3軒の家屋が記されているが、既にいずれの家屋も倒壊しており、今はそこに空しく残骸が残っているのみ、荒れ野も以前は水田だったのではなかろうか。昔は津和野街道に面していたことから、不自由もなく生活出来ただろう。しかし、明治時代に羅漢渓谷沿いに道路が開設され、人の往来もなくなったがために、寂れた辺境の地となってしまい、ついにはここに住んでいた人々も離村を余儀なくされたのではないかと思われる。


 民家の石垣も熊笹に埋もれつつある。中道集落と書かれた方向へと進む。




 越ヶ原から中道へと続く道、道沿いの美しい紅葉を見ながら進む。途中、道沿いにお地蔵さんが祭られており、七十二,七十三と番号が付いていたので、昔は道中のあちこちに地蔵があったのではないかと思われる。



 坂道を下り、中道川沿いに民家が点在する中道集落の南の端、三島原に出る。



 あたりは、廃田が広がるばかりで、民家も空家が多いようで、人の気配はあまり感じられない。小山の麓にある民家の脇を通って、再び山道へと入っていく。



 川沿いに続く緩やかな坂道を登っていくと、竹林の先に砂防堰堤が現れ、その先で雑木林の中から抜ける。




 この辺りには別荘用の分譲地が点在しており、林から出たところでも何やら造成工事が行われている。生山峠へと続く、県道佐伯錦線に合流したところで、旧津和野街道の旅は終わり。



 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  佐伯町誌 佐伯町


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