主要地方道芳井油木線・県境〜油木


 県道芳井油木線は、岡山県井原市芳井町を起点に、高梁市川上町から県境を越えて広島県に入り、神石郡神石高原町花済(はなずみ)から神石高原町上豊松を通って、神石高原町油木で国道182号線へと出る県道。


 県道芳井油木線から右へと県道美星高山市線が分かれる交差点のすぐ先が、岡山県と広島県の県境となっている。県境を挟んだ道路沿いには、地元の人が建てた説明板があり、かつては杖立の集落が備中と備後を結ぶ街道の交通の要地として栄えたことが記されている。また、旧道沿いには県境を挟んで数軒の民家が建っており、県境には明治17年に建てられた「岡山元標十八里二十九町三尺」と刻まれた石碑も残っている。



 広島県へ入り、神石高原町花済の集落の中を続く片側1車線に改良された道を西へと進んでいく。花済西の堂という名前のお堂の横を過ぎた先で、幅員減少の警戒標識が現れ、改良済みの区間はここで終わる。



 未改良区間に入ると、道路沿いに民家はところどころにぽつりぽつりとあるだけで、ひっそりとした寂しい道が続く。



 県道木割谷小吹線との交差点付近が、旧油木町と旧豊松村の町村境だったところ。ここに来るまでがほぼ平坦な道だったため、あまり峠らしくないが、桜が峠という名前の峠となっている。交差する県道に加えて町道があちこちから集まってきており、複雑な交差点となっている。直進の方向に県道の路線番号の標識が建っているのが見えるので、この方向へと進んでいく。




 交差点から先は、カーブの続く緩やかな下り坂で、昼間でも薄暗い杉林が続いており、交通量の少なさからか、道路中央の部分に苔が生えているところまである。杉林の中を抜けると、進行方向の右手、谷側の視界がいくらか開けてくる。
 ほとんどすれ違う車もないのに、「警笛鳴らせ」の規制標識があちこちに建っているのが目につく。かつては、この区間に井笠鉄道の路線バスが、豊松村から岡山県井原市へ向けて走っていた時代もあったそうで、路線バスが設定されていた時代には、名の通り主要な道路で、通行量も今よりもいくらかは多く、警笛を鳴らす必要があったのかもしれない。(なお、豊松井原間の路線バスはすでに廃止されている。)



 谷の幅がやや広くなり、いくらか開けたところに江栗という名前の十数軒の民家が点在する集落がある。しかし、もう住む人の気配のない廃屋も見られる。



 江栗の集落を過ぎた先も下りの坂道が続き、大曲がりのところで、仙養ケ原から下りてきた町道が合流する。



 その先は、谷筋に広がる水田の横を走る形となり、ほぼ平坦な道となる。県道布賀油木線との交差点に出たところで、未改良の区間はひとまず終わり。神石高原町役場豊松支所などがある旧豊松村の中心部へは、この交差点を右折した先、1.5kmほどで、車であれば2〜3分で着く。県道芳井油木線は、油木へと向けて、交差点を左折する。



 布賀油木線と重複の区間は、見通しのよい片側1車線の改良済の道が続くが、布賀油木線が左へと別れ、芳井油木線の単独区間になると、ほどなく色あせた幅員減少の警戒標識が現れ、再び1車線幅の未改良区間に入る。




 等高線に沿うような形で、右へ左へとカーブを切る、緩やかな上り勾配の坂道が続いている。八鳥という集落の付近では、道路改良工事半ばの状態となっている現場を横目に見ながら進んでいく。改良工事の終点からは、「ふれあいロード」と書かれた標識が建つ農道が右へと分岐しており、油木へはこちらを進むように案内されている。



 林の中に続く坂道を上り続けていくと、名もない峠の頂上で再び旧豊松村と旧油木町の町村境をまたぎ、旧油木町の区域へと入る。



 進行方向左手が谷となった山の斜面の中腹あたり、人の気配が感じられない林の中をを県道は進んでいく。



 今から下りて行く集落の様子を眼下に見ながら坂道を下りて行くと、大カーブから先はほぼ平坦な道となる。




 左手に水田の広がる高水池という名前の集落へと入る。小高い丘の上にある、種蓄場から広島牛改良センターと名前を変えた県の施設の下を通り過ぎ、田んぼの中をほぼ直線状に続く道を走る。


 一段高いところを通っている国道182号線に合流するため、坂道を登りきったところが、県道芳井油木線の終点となっている。


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