一般県道高根島線・高根島


 尾道市瀬戸田町をなす、2つの島のうちのひとつ、高根(こうね)島は、高級なブランドみかんとして知られる、高根みかんの産地。その高根島を一周する県道が、県道高根島線である。
 左の写真は高根大橋から下りてきた交差点で、ここからまずは北へと車を進める。ちなみに、高根大橋は農道として架けられた橋であるため、高根大橋は県道でなく、尾道市道である。




 県道の路側に、「高根発展の史碑」と刻まれた石碑が建っている。この石碑によると、県道高根島線にあたる島一周の道路が開通したのは、昭和37年だそうだ。そして、高根大橋の真下には、大正時代に行われた里道改修の記念碑も建っている。
 また、商店の横には、昭和45年の高根大橋開通まで、高根と対岸の瀬戸田との間を結んでいた町営渡船が接岸していた、傾斜の付いた護岸が残っている。



 瀬戸田水道を右手に見ながら海岸線沿いを進んでいくと、現在は廃止されている農協の支所の手前に、古びた幅員減少の警戒標識が建っている。しかし、その先へも山すそに民家が建つ集落の海側を通るバイパスとして整備された改良済みの道路が続いている。



 集落の北端に近く、バイパスが旧道を斜めに横切るところで、片側1車線に改良された道路の幅がやや狭くなり、1.5車線ほどの道幅でその先の山を掘り割った形で続いている。左手の山の中腹へと続く市道が分かれた先に、1.5車線幅の内の浦トンネルが姿を現す。
 このトンネルは、中央部分が素掘りの珍しいトンネルだったが、平成26年から27年にかけての工事で、拡幅・整備されて、現在の姿となっている。下の写真は、左側が拡幅前、右側が現在のトンネルの写真。






 以前は、最大高さ制限2.2mという規制標識があり、坑口付近の部分だけ、コンクリートで巻き立てられていたが、中央部は完全に素掘りの状態だった。
 高さ制限2.2mの規制標識からも分かるが、トンネルの中は狭く、車1台が通れるだけ、まるで歩道専用のトンネルを通っているような感じの、なんとも小さなトンネルであった。


 内の浦トンネルの北側に出ると、数軒の民家が見える以外は県道の両側の山の斜面にミカン畑が広がっており、県道は谷に沿って下っていく。島の一番北の灯台がある岬の西側の入り江には工場が見える。奥に見えるのは本州の山で、三原市幸崎町辺り。



 県道から右へと分かれる市道のほとりに、手書きの「高根灯台→」と書かれた看板がある。その道を1kmほど進み、最後は山道を歩いた先に高根島灯台がある。高根島灯台は「日本の灯台50選」に選ばれている古い石造りの灯台で、明治27年に初点灯したという歴史のある灯台。




 工場へと続く市道は海岸線沿いへと下りていくが、県道は左手の山の斜面の中腹あたりに張り付くような形で、ミカン畑の中の狭い坂道を登っていき、切り通しで山の尾根を越える。



 尾根を越え、進行方向右手に海を見ながら、高根島北西の海岸線へと向けて緩やかな坂道で下りていく。




 海岸線に沿った区間は、護岸の波返しに沿って普通車であれば十分離合出来る1.5車線ほどの道幅となっている。また、見通しも良いので、今までの道と比べて走りやすい。
 南へと進んでいくと、右手前方の大三島の前に見えていた小さな島が、海に浮かんだひょうたんのような形に見えてくる。この島はその形のとおり瓢箪島と呼ばれている無人島で、NHKで放送された人形劇・ひょっこりひょうたん島のモデルとなったとも言われており、独特な形から、国指定の登録記念物(名勝地)となっている。島のくびれた部分が広島県と愛媛県の県境となっており、写真では右側の小さい山のほうが広島県。昔々、神様が島を取り合って引っ張ったところ、島の真ん中がくびれて今の形になった、との伝説があるそうだ。



 さらに進んでいくと、前方に見えていたしまなみ海道の多々羅大橋が生口島の島影に隠れて見えなくなり、次第に対岸の生口島との距離が縮まっていき、家々の姿がはっきりと見えてくるようになる。



 県道沿いに祀られた恵比寿さんの前を通り過ぎると、新たに海岸線沿いに付け替えられた区間へと入る。葭浦橋という短い橋を渡った先で旧道が左から合流する。




 対岸に三原・尾道への旅客船が発着する瀬戸田港の待合所や桟橋が見える。その先のカーブを曲がると、オレンジ色のアーチ橋・高根大橋が見えてくる。ほどなく高根大橋のたもとに到着し、これで県道高根島線を完走したことになる。

 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  日本の灯台50選 公益社団法人燈光会
  広島県の文化財−瓢箪島 広島県教育委員会


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