一般県道中大迫清田線・呉市倉橋〜音戸


 一般県道中大迫清田線は、倉橋島の東端近くの集落・呉市倉橋町大迫から、倉橋島の東岸に点在する集落を経て、呉市音戸町先奥で国道487号線に合流する路線。



 呉市倉橋町大迫の集落は、南に開けた海岸線近くに民家が建っている。護岸沿いに東西に通っている道は市道で、県道はこの市道から直角に北の方向へと分かれている。(右の写真)



 左右に広がる畑の中を、ほぼまっすぐに県道は進んでいく。なお、昭和46年に現在の県道が、大迫農道として開通したときの記念碑が道路沿いに建てられている。



 小山の山裾を通り、県道の通行規制情報板の横で護岸に突き当たり、北に開けた海岸線へと出る。ここを左へと折れて、海岸線に沿う形で進んでいく。



 上段右の写真、ビニールハウスの先、岬のように山がせり出しているところに、太平洋戦争末期の昭和19年、海軍がここに設置し、特殊潜航艇の訓練などを行った、特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡の石碑が建てられている。砂浜に残るコンクリート構造物の残骸は、基地の遺構らしい。



 道幅は1.5車線分ほどであるが、海岸線に沿った見通しの良い道が続くので、走りにくく感じることはない。海岸沿いのわずかな平地には、畑やビニールハウスなどがある。なお、倉橋はトマトの産地として有名で、海岸沿いにあるビニールハウスはトマト栽培のためのもののようだ。



 倉橋東中学校の前を過ぎ、廃校を利用したと思われるセミナーハウスの先に、市道との交差点がある。交差点手前の案内標識は、呉方面は左折するように表示しており、直進して続く県道は「通行不能」との表示が残ったままになっている。



 市道との交差点を過ぎた先は、上下1車線分の道幅が確保されているものの、納(おさめ)という集落に入ると、再び道幅が狭くなる。納地区では、国会議事堂の外装にも使われている、桜みかげという石材が産出されている。



 納の集落を抜けると坂道となり、海岸沿いから離れて前方の山へと登っていく。海岸線よりも一段高い山の斜面に作られた道を進んだあと、下り勾配になったかと思うと、畑の広がる脇田という名前の集落へと出る。



 道の両側に広がる畑の中を走り、海岸沿いに出たかと思ったら、すぐに再び山手のほうへと登っていく。これはもともとこの道が、平地部位外は山の丘陵地に広がるミカン畑の中を抜ける農道として作られたためではないかと思われる。



 再び山の斜面の中ほどといった感じのところを進み、緩やかに道が下りだすと、右手に盛土の法面が現れる。これは土地改良事業により造成された農地で、多数のビニールハウスが建っている。その先、今度は左手に造成中の法面が現れ、ここでも土地改良事業により、造成工事が行われている。



 狭い谷を抜け、海岸近くの小さな入り江のそばへと出てくる。国土地理院の地形図には記されていないが、調べたところ、このあたりは寒那という地名らしい。海を右手に見ながら海岸線近くを進んだ後、緩やかな坂道となり、坂を登っていくとほどなく、改良された上下1車線の道路となる。



 最後まで通行不能区間として残っており、平成18年 2 月に開通したばかりの新しい舗装路を進むと、海岸沿いに別荘風のしゃれた住宅の建ち並ぶ長谷の集落が見えてくる。集落内へと向けて下っていき、長谷橋を渡ったところで、もとからあった県道へと接続している。



 長谷の集落を過ぎ、1車線幅の道を北へと向けて進んでいく。海岸線に下りたり、山の斜面へと登ったりというのは、これまでの道と同様であるが、長谷から北の区間は、沿道にほとんど畑は見られないという点は、南側とは様子が違うところ。



 山の中腹に造られた別荘地の下を通り、等高線に逆らわない形のカーブの多い道が続く。



 坂道を下り、海岸線に下りてくると、湾となっている奥ノ内港の対岸に、音戸町南部の畑から先奥の集落に建ち並ぶ家々が見えてくる。



 護岸と民家に挟まれた1車線幅の道を、海岸線に沿うように進み、倉梯町と音戸町の町境を越える。(町境を示すものは見当たらない。)その先、護岸から離れて左へ曲がるとすぐに、国道487号線へと出るところが、県道の終点である。


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