国道488号線は、島根県益田市から島根・広島県境を越え、広島県廿日市市吉和・広島市佐伯区を経て、廿日市市へと至る一般国道であり、平成5年に県道から国道へ昇格した。
益田市から広島方面へは、国道191号線がメインルートであり、国道488号線は未改良区間が多いことから、こちらを通る交通量はほとんどない。
島根県側の益田市匹見町の匹見峡レストパークを過ぎた辺りから、幅員制限2.0m・大型貨物車通行止の規制がかかった未改良区間が続く。「広島方面へは国道191号線が便利です」との案内もある。
裏匹見峡の渓谷を過ぎると、広見川沿いの谷間のわずかな平地を東進していく。広見川沿いにまっすぐ続く林道との別れで大きく進行方向を変える。
なお、匹見町は平成16年11月に益田市と合併したが、合併前の匹見町は過疎の町として有名であった。国道488号線沿いには、裏匹見峡の奥に広見という集落があったが、昭和38年の豪雪により孤立したため、離村者が相次ぎ、現在では廃村となってしまっている。(左)国道沿いの藪に埋もれている旧広見小学校の建物と、(右)国道沿いの杉林の中に残る昔の民家の石積。
今まで通ってきた谷の斜面中ほどを県境の峠へと向けて登っていく。峠の頂上へ近づくと、進行方向右手の眺望が開けており、見渡す限り山が続いている。まさに中国山地のど真ん中にいると感じることができる。
前方の山の尾根に、大きな送電線の鉄塔が見えてくると、匹見側では御境と呼ばれている、島根・広島県境の峠に到着。峠には、県境・市境を示す標識が建っており、国土地理院の地形図で見ると、標高は970m近くあり、広島県内の国道で最も高い地点となっている。県境からは、吉和へと向けての下りとなる。
あちこちの谷から、山からの澄んだ水が流れて出てきており、それらが集まり、太田川の支流となる渓流をつくっていく。島根県側は広見川から分かれたあと、等高線に沿うように峠へと登ってきたが、広島県側では谷筋に沿って下っていく。
戦後になって、それまでこの山中に広がっていた自然林を伐採して植林した杉林の中を通っていく。人家の類いは全くなく、道路のほかにある人工物は、山の高いところを通っている送電線のみである。
道路左側にブロック積が現れたかと思うと、左手から十方山林道が合流。十方山林道は、ここから一山越えた細見谷、さらに水越峠を経て、恐羅漢スキー場のある安芸太田町横川へと続いているが、路肩崩壊の恐れがあるということで通行止の看板が出ていた。
十方山林道と合流したあと、その先すぐのところで大向長者原線という新しく開設された林道と交差する。ここから先、現在の中津谷へと続く国道488号線が建設されるまでは、人が通れるだけの道が、大町谷を通って大向の集落へと抜けるルート(これは大向長者原線とほぼ同じルートと思われる)にあり、吉和と匹見の間の往来に利用されていたそうだ。
林道の別れから少し進むと、川を渡るコンクリートの橋が架けられており、右から合流してくる道がある。この道は三坂八郎林道で、八郎川沿いに西の山へ入り、県境の山を越えて益田市匹見町へと続いている。県境部には延長350mの三坂八郎トンネル(右の写真)があり、幅員も国道より広く、整備されていることから、匹見方面へはこちらを通る車のほうが多い。
川沿いに雑草が生い茂る空地があるが、昔は何か建物が建っていたのだろうか。落石防止用のネットが掛けられた、切り立った崖の下を進んでいく。
右手を流れる川(地形図では、主川となっている)の流れにあわせて大きくカーブを切る。源流に近いところながら、川はさほど急流ではないので、道路の勾配も緩やかである。
林道小川線という名前の林道が、川を渡って右手から合流してくる。(林道はバリケードで封鎖されている。)その先も川の左岸を引き続き下っていく。
林の中を走り続けていくと、前方にそれまでの林道の橋よりも一回り大きい橋が見える。不栗付橋という名前のその橋で、国道は中津谷川を渡る。
中津谷川の左岸から右岸へと渡った先で、再び川沿いの林へと入っていく。川からは今までよりも少し距離を置いた、やや高いところを走る感じ。
道路の山際、右側の路肩に水田に水を引くための水路が現れると、前方の林の先が明るくなり、中津谷の集落の人家が見えてきたところで、島根県側から延々と続いてきた未改良の区間は、ようやく終わり。
未改良区間から出たところ、言い換えれば吉和側の未改良区間の入り口には、異常気象時の規制区間や道路情報、冬季閉鎖を予告する標識類が建ち並んでいる。この先でほどなく、国道186号線へ合流する。
このページの作成にあたり、参考とした文献等
吉和村誌 吉和村